3月28日(土) 大倉山ドキュメンタリー映画祭に行ってきました。 この映画祭で「ろまんちっくろーど~金木義男の優雅な人生~」も上映していただいたのだ。 早朝6時に大阪で金木さんと待ち合わせて新幹線に乗り、横浜へ。 新幹線に乗る前に僕は金木さんに 「僕は徹夜で寝ていないから寝るからね!」 と念を押していた。
前日、僕は、仕事で2日後に上映される障がい者とアメリカのミュージカルグループの交流を描いたドキュメンタリー作品を徹夜で仕上げた。 そして、納品・修正対応などは、ろまんちっくろーどプロデューサーの松本君に任せていた。 しかし金木さんは子供のように無邪気に喋り、車窓から富士山が見えると他の乗客を巻き込んで写真を撮らせていた。
おかげで一睡もできずに横浜へ。 大倉山に着くと、上り坂があり金木さんに 「登ります?」と 「あたりまえや」と金木さん
この坂はかなり急で、大倉山ドキュメンタリー映画祭運営の遠藤さんに タクシーで登ってくださいねと忠告をいただいていたのだが、その必要は金木さんには無かった。 軽快な足取りで急な坂を登る金木さんを見て、この爺さんは本当に78歳なんだろうかと思う。 皮膚だけお爺ちゃんで中身は30代だ。
大倉山記念館への山道はちょうど桜が満開で美しかった。 大倉山記念館に着き、映画祭スタッフの遠藤さんがいろいろ世話をしてくれて有難かった。
金木さんは早速、シアターセブンで使った幟を持って大倉山駅周辺で映画の宣伝。
僕は「60万回のトライ」を鑑賞。
同じ大阪を舞台にした作品。 大阪朝高ラグビー部達を追いかけた青春ドキュメンタリー映画だ。 映画を見るまでには知らなかった大阪朝高ラグビー部をラストの試合のシーンでは出に汗を握り応援している僕がいた。 グッと胸に迫るものがあった。 上映後、よしこストンペアの石田ストンさんと、小川賀子さんが到着。
ろまんちっくろーど上映後には毎回よしこストンペアさんに演奏していただいている。 毎回ライブがはじまると、会場の様子をサラリと歌っているのだが、楽屋には今回の大倉山の歌詞とギターのコードが書かれたノートがあったので思わず 「あれ、即興じゃなかったんですね」と言ってしまった。 毎回、準備をしていただいていた事を知り頭が下がるばかりである。 二人は慌ただしく演奏の準備をしていた。 一方、金木さんは、大倉山記念館で絵を描いている婦人をおちょくっていた。
その後、29日に上映する「孤独の輪廻」の三浦監督とお話しさせていただいた。 三浦さんによると「孤独の輪廻」が海外の映画祭で上映された時に、日本作品として、黒木和雄監督や原一男監督がいたとの事で、そこで大倉山ドキュメンタリー映画祭の主催、いせフィルム、伊勢監督とお会いしたとの事。 私も、三浦監督に原一男監督の「ゆきゆきて神軍」を、ろまんちっくろーどの編集中に見てしまい、あまりのショックに編集が出来なくなった事を話すと、横で聞いていた金木さんが「原一男がなんぼのもんじゃい!俺は勝てる」と言い出し、その後、金木哲学を語り始め、三浦監督を困惑させていた。 三浦監督が去ると、金木さんは僕に「あの人教養あるね」と耳元でつぶやいた。 金木さんは、話を最後まで聞いてくれた人を評価する。 その後、岡山上映、東京の上映を企画した安福さんが下北沢上映のチラシを持ってやってきた。 安福さんは、前衛的なファッションをしていた。 そして、伊勢監督に挨拶。 伊勢監督は渋い声で、「あとで、ゆっくり話そう」といいガッツリ握手してもらった。 バタバタしていたら、松本プロデューサーから連絡がきた。頼んでおいた障がい者とアメリカのミュージカルグループのドキュメンタリー作品をクライアントが喜び、修正なしの一発OKという報告。 ほっとした、そしてこの場に松本プロデューサーを呼べなかった事を申し訳なく思った。 そして、ろまんちっくろーど上映。 僕は迂闊にも寝てしまった。 まさか徹夜の疲れのピークが自分の作品の時に来てしまうとは。 目を覚ますと、スクリーンには金木さんのどアップ。 まあまあ焦った。 後半は横浜の皆さんもよく笑っていただいてほっとした。 ラストのシーンでは、自分の映画で、はじめて泣きそうになった。 賀子さんの歌声は涙腺を刺激する。 上映後は金木さんと私のトークを短く済まし、よしこストンペアさんのライブ。 映画の空気をそのままに会場が暖かくなった。 その後も伊勢監督の配慮でよしこストンペアさんのライブを別室で行い、春の光の中で二人の演奏を楽しむことが出来た。
金木さんも横浜のマダムに囲まれて、上機嫌で本を販売していた。
その日の最後のイベントは、60万回のトライの朴思柔監督、朴敦史監督、僕と、伊勢監督。
印象的だったのは、伊勢監督の「ドキュメンタリーは、カメラワークとか画の構成とか、編集のセンスとか色々ありますが、撮る人が撮る対象をどれだけ好きになるか」というお話し。 全くの同感で、それは60万回のトライにも感じたし、昨年末に見た、監督はおそらくアマチュアだと思うがスーパーローカルヒーローにも感じた。 こんな事を思い出した。 20代の頃、僕が中島らもの本に中に書かれていた「ローリングストーンズは演奏が下手」という箇所を読んで、音楽をやっていた友人に「ローリングストーンズって演奏下手なん?」と聞いたら、「上手いよ、だって自分らの想いめっちゃ伝えてるやん」といわれて愕然とした事を。 イベントも無事に終わり伊勢監督から飲みに行こう!とお誘いを受け、皆さんと打ち上げへ。 金木さんは、東京に遊びに行くと言って出掛けてしまった。 打ち上げでは、伊勢監督からドキュメンタリーをフィルムで撮っていた話や、僕が伊勢監督のコラムを読んで映画作りで救われた話など出来て幸せだった。 何故か伊勢監督にペラペラ喋ってしまった。 これがドキュメンタリーを何十年も撮って来た監督の魔力かと思った。 伊勢監督の「撮りたいから撮るんだよ」の言葉が印象的でした。
味わったことのない春の夜だった。 一方、金木さんはその頃、東京で選挙演説のスタッフに議論をふっかけひと悶着したらしい。
翌日、29日。
この日は、大倉山ドキュメンタリー映画祭で上映される作品を楽しむことに。 堀田泰寛監督の「日曜日の子供」たちを見る。 東京の工業地帯付近で遊ぶ日曜日の子ども達を延々と撮り続けた作品。 何も起こらないのだ。 釣りや散歩など和やかな海岸で遊ぶ子ども達の映像が延々と続く。 本当に何も起こらない中、子供が突然どこから持ってきたのか鶏と遊ぶ様子や大きな魚を釣って魚を抱えている子供達の映像がとても輝いていた。 そして、その何も起こらない映像の背景から、監督のメッセージが浮かび上がってくる。 どこか川島雄三監督の「青べか物語」にある反骨精神が全編に漂っている感じを受けた。 今井友樹監督の「鳥の道を越えて」 同じ名前、同世代の監督だ。 諸事情で監督が会場に来れないので、監督からのビデオメッセージを見る。 さわやかな方だ。 作品は、監督の地元、岐阜県で行なわれていたカスミ網猟を取材したもの。 誠実に、丁寧にとられた作品。 こんなに山を美しく撮った作品を見たことが無い。 残念ながら、伊勢監督の「妻の病」・三浦監督の「孤独の輪廻」は見れずに横浜を後に。 後日、大阪十三シアターセブンで、伊勢監督の「妻の病」を見る。 名作だった。 ラストでは涙が溢れ、嗚咽が止まらなかった。 横浜で無理にでも時間を作り、「妻の病」を見て、伊勢監督に感想を告げたかったと後悔する程、素晴らしい作品だった。 こんなにも人は美しく人を愛せるのかと思った。 シアターセブンを後にして、事務所に戻ると松本プロデューサーが慌しく、仕事をしている。 松本プロデューサーは、映像制作会社を立ち上げてそれから、ずっと忙しく働いている。 僕はその会社の一部を間借りさせてもらっているのだ。 松本プロデューサーの故郷は名古屋だ。 僕は忙しそうな松本君を見て、名古屋でも上映したいなぁと思った。 金木さんに電話したら、4日間東京を満喫したそうで、小説にすると興奮していた。 そして、これから上映する神戸・元町映画館での宣伝で元町商店街を歩き回るとはしゃいでいる。
よしこストンペアさんがニューアルバムを発表した。
新緑が新しい季節を告げている。 これからまだまだ、ワクワク楽しい事が始まる。
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